あまり馴染みのない人が、「現代美術」を理解するための3つのポイント

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photo credit: Sophie's Choice via photopin (license)

 

目次

  • はじめに
  • 現代美術とは何か
  • 現代美術鑑賞の3つのポイント
  1. 作家の意図を考えてみよう
  2. 展示のテーマを深掘りしよう
  3. やっぱりなんとなく好きかどうかを考えてみよう
  • 最後に

 

はじめに

みなさんこんにちは。

 

このブログでは初記事となるのですが、テーマは「現代美術」です。

なぜ「現代美術」をテーマに選んだかといえば、僕自身が趣味と名乗る程度に

美術鑑賞が好きで、この面白さをより広めていきたいと考えているためです。

 

僕は今20代後半で、大学でも美学など人文系のことを学んでいたので自然と「現代美術」に興味を持ったのですが、趣味としての「現代美術(鑑賞)」は、ここ日本ではあまりメジャーな趣味とは言えないのが現状だと思います。

そもそも美術や演劇、クラシックといった趣味は子供の頃から裕福で文化的な家庭で育った人が嗜むイメージで、俺には関係ない世界だな、と考えている男性も多いのではないでしょうか。

 

しかし「現代美術」鑑賞は、誰でも楽しめる趣味の一つだと僕は思っています。

その理由はシンプルで、理解しようとすればちゃんと理解できるものであるから、です。

 

美術といえば感性で楽しむもの、特に「現代美術」については難解で、わけがわからないというイメージがあるかたもいらっしゃるかもしれないですが、少しの前知識と心構えがあるだけで、「現代美術」鑑賞という行為はとても興味深いものになると考えています。

 

ではどうして「現代美術」が誰でも理解できるものなのか、

「現代美術」を理解するためのポイントとして3つの点を並べながら説明してみたいと思います。

 

現代美術とは何か

 

3つのポイントを説明する前に、「現代美術」とは何か、ということを僕なりに簡単に定義してみたいと思います。

 

その「現代美術」の定義とは、

「欧米的な思想に基づいた、伝統的美術・工芸を除いた表現行為」です。

 

正直この定義には異論反論あるかと思いますが、僕はざっくりこう言い切ってしまっていのではないかと思います。

なぜなら、欧米圏以外でも行われている「現代美術」の表現は、欧米で生まれた「現代美術」の世界を前提としているからです。日本の「現代美術」も当然例外ではなく、この定義に当てはまっていると思います。さらなるその理由や、日本の現代美術史の話に立ち入ってしまうと、とても書ききれない話になってしまうのでここで止めますが、興味のある方は中ザワヒデキさんや椹木野衣さんの著書を参照してみることをお勧めします。

 

現代美術史日本篇1945-2014: ART HISTORY: JAPAN 1945-2014

現代美術史日本篇1945-2014: ART HISTORY: JAPAN 1945-2014

 

 

日本・現代・美術

日本・現代・美術

 

 

とにかく、「現代美術」は欧米的、西洋的価値観を基にしていることが前提であり、ぶっちゃけると西洋の歴史、思想史、哲学史を勉強することが一番確実な現代美術の理解になることは確かです。

しかし、それは興味を持ち始めてから個々人がやればいいことなので、いきなりそれを鑑賞の前提として強制することは、多くの人に現代美術なんて見なくていいよと言っているのと同じです。

(しかしながら現在も日本において現代美術界がよく分からないものとして扱われている理由の多くは、この点をしっかり明示していない点にあると思っています…)

 

とにかく、「現代美術」は欧米的、西洋的価値観に強く根ざした表現行為であり、 そのことが常に作品のバックグラウンドにあることを意識することが重要になってきます。

ではその定義を前提として、現代美術を理解するためのポイントを3つまとめてみたいと思います。

 

 

 

1.作家の意図を考えてみよう 

「現代美術」を理解するために重要な第1のポイント、それはまず作家の意図を考えてみることです。

とても当たり前のことなんですが、考え方の流れが大切で、作家がどうしてそのような表現行為に至ったかを考えてみることが重要です。

 

作家の経歴、バックグラウンド、そして過去の作品、、まで追えれば良いのですが、初見の作家で作品を前にして、スマホでググっているわけにもいかないです。

そんな時、展覧会では、作品のキャプションや解説などがあれば、その理解をおおいに助けてくれると思います。

 

で、その時の考え方なのですが、僕は以下のように考えてみたりしています。

 

現代で表現行為をしてみよう、と考えた時、今の時代様々な手段がある、と感じる一方で実は結構手段が限られていたりもします。

昔ながらの油絵などや、写真などの平面、木彫や金型で作った真鍮製の像などの立体、空間全体で表現するインスタレーション、そこに音や映像、デジタルデバイスなんかも加わって様々な試みが行われていますが、「現代美術」にしかない表現のフォーマット、というものはありません。(デパートの商品陳列なんかはまさにインスタレーションと言っていいと思います)

つまり「現代美術」の世界では、既視感のあるメディアを使って、個々の作家が新しい表現や問題提起を行おうとしており、作品はその表れなのです。「現代美術」の世界は表現活動の異種格闘技のような世界なので、様々なメディアが使われ、それが作品の理解をわかりづらくしているという側面もあります。

 

しかし、逆に言うと、作家はそのメディアを選んだという作為があります。

 

シンプルに作家が伝えたいことは何か、を考える時、そのメディアをなぜ選択したのか、を考えれば、意外と問題の本質が見えてくるかもしれない、と思っています。

 

そして例えば、作家の問題意識を共有した(と思った)時、自分だったらそれをどのようなメディアで表現するだろうか、と考えてみるのも、鑑賞の一つの楽しみ方かもしれません。

 

 まとめると、作家の意図を考える時、そのメディアを選択した理由を考えることは大きな理解の助けになる、ということです。

 


 

2.展示のテーマを深掘りしよう

2つ目のポイントは、展示のテーマを深掘りすること、です。

多くの「現代美術」の展示では、展覧会にテーマが設けられています。

作家の個展でも、テーマがあった上でその作家の作品を選んだり、テーマを元に作品を制作したりします。

つまり、作品個別の制作意図や制作動機と同じくらいに、「現代美術」では展示する際のテーマが重要になっていることが多いです。

そしてここで重要なのが、テーマを設定するのは、キュレーターと呼ばれる展覧会の企画者という点です。当然ですが作家ではないのです。(作家本人の場合もありますが、その場合は作家自身がキュレーターを兼ねていると言えます)

 

古典絵画であれば、作品そのものさえ持ってきて、しかるべき環境で展示すれば展覧会が成立しますが、「現代美術」の場合は、作品だけ持ってきて展示しても、それこそ鑑賞者には文脈の読み取れない意味不明なものになってしまう可能性が高いです。

逆に言えば、展示のテーマさえ明確であれば、作家があまり考えていない作品でも、明確な意図や狙いを持たせることが(キューレーターの手によって)可能になる場合もあります。そしてそれが「現代美術」の面白いところだと僕は思っています。

 

例えば、展覧会のテーマがちょっと前によくあった「建築とアート」みたいなものだと、「現代美術」の文脈によって建築家の設計した建築物が語られたりしますが、それは「現代美術」という定規を使って建築を再定義しているようなことだと思います。

それはもちろん一面的な見方であって、絶対的な評価ではありません。

ここで重要なのは、「現代美術」の文脈で語られる作品は、常に相対的な目線によって理解されているということです。

テーマを設定したキュレーターの視点、作家の視点、そして鑑賞者であるあなたの目線。一つ目のポイントで、展覧会にあるキャプションや解説は理解の助けになると書きましたが、それは事実である一方で、考え方を他人に依存しているということでもあります。

 

結論としては第1のポイントに収束してしまうのですが、展覧会には、作家以外の視点がある、ということを意識することが重要です。展覧会のテーマを深掘りすることで、キュレーターの視点を理解し、より作品に相対的に接することができるようになります。

その上で、作品に向かい合ってみるとより違った理解ができるかも知れません。

 

 

 

3.やっぱりなんとなく好きかどうかを考えてみよう

最後はやっぱり直感です。

最後と言っても、実際の鑑賞ではやはり視覚的な体験が先にあるので、

作品の前に立った時、まず初めに判断するポイントになるかと思います。

 

なんとなく好きかとどうかを判断する基準は、それこそ見た目が好きだとか、作品の醸し出す力強さに圧倒された、みたいな抽象的で個人的な理由で良いと思います。

そういう感情を理由を見つけて考えることもできるのですが、考えなくても良いところが「現代美術」に限らず、美術鑑賞、音楽鑑賞など芸術を楽しむ時の一番の良さであるというのが、素直な気持ちです。

 

作品の正面に立って、その作品が好きかどうか、もっと見ていたいかどうか考えてみてください。

その時に気持ちの理由が分からなくても、意外とその直感が後で腹に落ちることもあります。

 日常生活の中で、あっ、と思うこともあったりで、それが醍醐味だったりします。

 

あと、むしろ作品と全然関係ないことを考えて、意外と思考が進んだりするのも効能の1つだと思います笑。

 

 

最後に

非常に簡単、かつ個人的な考えに基づいた「現代美術」の鑑賞のすすめになりましたが、少しでも参考になれば幸いです。

 

個人的には、「現代美術」はあらゆる好奇心の入り口になるものだと思っています。

なぜなら「現代美術」は「今」もしくはその作品の同時代性を捉えている作品が多いため、必然的に世の中で起こっていることにも関心が向くためです。

 

「現代美術」と世界で今起こっている問題などの間には表裏一体の関係があることが多く、現代美術が表象していることが、今世の中で起こっていることそのものである、というのが、「現代美術」が目指している一つの方向性と言っても過言ではないのかもしれません。

 

しかしそれゆえに、「現代美術」が語られている特殊なアートワールドの世界と、実際に問題が起こっている現実との間に愕然としてあるギャップが、しばしば批判の対象となっていることも否めません。

そうした「現代美術」が内に持っている構造の矛盾それこそが、まさに21世紀の世界で起こっている問題を表しているような気がするのは皮肉ですが、私はそんな「現代美術」の世界がこれからもどうなっていくのか楽しみで、そんな人が一人でも増えれば幸いです。